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山口県周南市大津島:回天記念館で烈士たちに黙祷

特攻兵器・人間魚雷「回天」

らし(めぐらし)、戦局を逆転させる”の願いから命名

山口県周南市にある大津島、
別名“回天の島”とも呼ばれるこの島を
僕は訪れました。


徳山港から大津島巡航の船に乗り、
大津島の馬島(うましま)というところへ向かいました。
大津島巡航という高速船です、
どうでもいいけど、僕とグーグー寝ている
おばちゃんの2人しか乗客がいないんですけど(^^;

大津島はそんな静かな島なのです。

港に着いて、
周南市回天記念館」まで徒歩10分。
色づき始めたのどかな山道を歩くと、
そこに回天記念館がありました。

(左)鬣山/たてがみやま
(右)回天記念館



(右)回天創案者・黒木博司大尉と樋口孝大尉

不幸にも黒木大尉と樋口大尉は回天の訓練中に殉職。
残された回天特別攻撃隊の後輩たちは二人の死の翌日から
「黒木、樋口に続け」を合言葉に猛訓練をしたそうです。

そもそも、「魚雷に乗る」 ということが本来
コトバとして矛盾しているわけです。
魚雷は乗るものではなく、
魚雷は発射するものだと思うわけです。

その意味でも
魚雷に人間が乗るのは初めてだったし、
黒木大尉と樋口大尉は自分の命を捨ててでも
多くの日本人を残し救うという考えだったそうです。


(右)回天戦死者 145名、没時の平均年齢 21.1歳
   ほとんどが20歳前後の若者だった。

特攻兵器「回天」
この中に入って、直接操舵し、敵艦に体当たりをする



国家存亡の秋、じっとしておれないのです

命と青春をお国に捧げた“烈士”たち。

今も艦とともに海底深く沈んで
海の藻屑となり、そのまま戦場にある“烈士”たち。

この密閉された狭い操縦席に乗り込んで訓練をし、
大量の爆薬を積んで敵艦に体当たりをしていった先輩たち。
彼ら“回天烈士”に今、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

館内には先輩たちの遺影がありました。
みんな、とってもいい顔してるんですよね、コレが。
キレイな顔でした。

(左)森繁久彌 「浮きつ島 鼓海を訪ふ」の碑
(右)「出口のない海」に使われた回天の操縦席 - 市川海老蔵が乗った

浮きつ島 鼓海を訪ふ

森繁久彌

 天を回せよ
 今は嗚呼
 鼓海の波は静かなり
 その勲しの
 あとや哀し
 大津島に鎮もれる
 魂々よ
 静かに思ふ
 人生に無駄なものが
 あらふか
 眠れ友よ いかにも
 碧き 海に

 平成五年五月二十二日 作


「いかにも碧き海に...」
あーん、胸に残りますねー

戦争は虚しく愚かです、
この回天記念館は畢竟、訪れる人々に
平和の大切さを訴え続けるために存在するし、
これからも存在し続けるのだと思います。

その意味でも、
いつの日にか
この僕のブログが心のどこかに引っ掛かっているならば
あなたにもぜひ訪れていただきたいと思います。

Kaiten Memoral Museum

回天記念館へ


回天が運ばれた海へ抜けるトンネル、
その後、彼らは海へ旅立った。

(トロッコに乗せてトンネルを通って運ぶ)
トンネル内には回天を運んだレールをコンクリートで
埋めた跡が今も残っています。

(左)トンネル内にあった回天を紹介するパネル
   「戦友に別れを告げる特攻隊員たち」

回天発射訓練基地跡

人気(ひとけ)はなく、ただただ波の音だけが聞こえ
碧い海のなかを覗くと
ヒラヒラと魚たちが泳いでいました。
ヒラヒラヒラヒラ泳いでいました...



そこにたたずんでいると
なぜか猫が現れて、ジャレついてきました。
不遜な言い方だけど、回天特攻隊の方が
猫となって現れ慰霊をする僕にお礼を言ってくれたのかな
などと感じました。


慰霊が終わり、来た道を引き返すと
猫ちゃんがついてきました。

振り払おうとするのですが、
トコトコトコトコついてくるんです。
寂しいんでしょうか?
嬉しいんでしょうか?

帰りのフェリーの中から見た徳山港の様子


今の日本の姿は
回天の英霊たちが期待した姿なのでしょうか?

「ハイ、そうです!」
大きな声で自信をもって応えられるような
日本にしていきたいものです。

若い僕らがみんなで力を合わせて
英霊たちが期待したような日本の姿にしていきましょう。


●回天(○六金物一型)概要

全  長:14.75メートル
全重量:8.3トン
搭載爆薬重量:1.55トン
推進馬力:550馬力
最大速力:30ノット(時速約54キロ)

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 福岡県北九州市:門司港レトロは間違いなく“恋人の聖地”


(参考)
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靖國の杜の再生 靖国神社外苑のあゆみ(変遷)

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