明治100年に僕は生まれました。
明治100年とは、「昭和43年(1968年)」のことです。
大正百年事業実行委員会さんによると
来年、平成23年(2011年)は、
大正100年に当たるようです。
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明治時代は、
1868年10月23日から始まり、
1968年が「明治100年」。
大正時代は、
1912年8月1日から始まり、
2011年が「大正100年」。
ということは、
明治は100年を“満(周年)”で祝い、
大正は100年を“目”で祝うということで
両方の数え方がちょっと違っているような気もしますが、
いずれにせよ、大正時代が始まってから
来年で100年ということで、感慨深いです。
大正時代って、「大正ロマン」の花が咲き、
「大正デモクラシー」が起こった素敵な時代ですよねっ!!
それから、絶対に忘れてはいけないのが、
先の大戦で、戦場に散った先輩たちは
年齢的にそのほとんどが大正生まれに当たります。
わが祖国・にほんの平和と繁栄の礎となられた方々が
ほとんど大正生まれであったということが
もっとも強烈に荒荒しく大正という時代を彩っていると僕は思っています。
僕のブログをみると大正ってこんなイメージですよ(^-^)
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・大正2年、正造の大葬儀があった佐野厄よけ大師 - 田中正造終焉の地
・大正3年建築の駅舎 - 門司港レトロは間違いなく “恋人の聖地”
・大正3年、朧月夜 (おぼろづきよ) 歌詞 - まっ黄っ黄!圧倒的な菜の花
・大正7年生まれ、中曽根元首相。石にかじりついても職責を尽くす気概
・大正7年9月、64才没。僕のひーひーおじいちゃん(4代前)の顔
・大正7年、自身の伊豆旅行を元に書かれた伊豆の踊子(川端康成)
・大正10年、原敬、東京駅で暗殺
・大正11年発行、「大隈重信哀悼号」 實業之日本
・大正時代から半世紀近くかけて積み上がった筑豊富士(ボタ山)
・【完全版】「平成最後の●●」 2019年5月1日改元/平成終了までの日程表
村内栄一は青雲の志止みがたく、家業であった農業兼機屋に満足せず醤油醸造業を志し、単身醤油のメッカ野田に行き、荒くれ男にまじり修行一年、先輩の技術者をスカウトして帰郷し、水と交通の便の良い大和田に醤油醸造工場を建てた。大正元年のことである。(村内村雄)
宇三郎は私の祖父である。宇三郎の長男は村内栄一といって、この人は私の伯父に当たる。栄一という人も若い頃から事業家的な気質に恵まれていたらしく、小学校を出ると同時に、親に無断で千葉県の醤油醸造屋に丁稚小僧として住み込み、年季が明けると八王子に帰ってきて醤油メーカーをはじめた。農家の長男であるから、そこまでする必要はまったくなかったのだが、それでは気がすまなかったのだろう。この人は戦後、醤油製造から家電販売に転進し成功を収めた。現在のムラウチ電気が、それである。(村内道昌)
「ムラウチ」も、
大正元年(1912年)に、僕のひいおじいちゃん・栄一が、
八王子市大和田(現在のムラウチジョーシンさんと同じ場所)に
醤油工場を作ったのが始まりです。
ムラウチも来年100年ということになりますね。
何月に醤油屋を始めたのかわかんないので今度調べてみようと思います。
どうやら、「ムラウチ」は 100年は続きそうです(笑い)
(左から)父・壽一 祖父・村雄 曽祖父・栄一 高祖父・宇三郎 5代前・三造
そして、僕・村内伸弘@ムラウチ ドットコム♣
(参考)
・村内壽一「2000年年頭にあたって」 & 第一家電創業者 永長左京「寸語録」
・平成29年「八王子市市制100周年」と 昭和9年「東京府南多摩郡小宮村の町制施行」
・美濃部達吉と吉野作造 大正デモクラシーを導いた帝大教授(古川江里子)
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勤務地:八王子市 - Web系技術者(Webアプリケーションエンジニア、Webプログラマー)
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