--福田首相の辞任表明に対して--
「首相は石にかじりついても職責を尽くすものであり、 気概が薄れている。首相がサラリーマン化した。 日本の民主主義が弱まっている」(中曽根康弘)
「この秋は雨か嵐か知らねども 今日のつとめの田草とるなり」 と
詠っていた福田康夫首相が安倍晋三前首相と
同じように政権を投げ出してしまいました。
(後任を決める自民党総裁選は今日10日告示)
僕は商人ですので、
特定の政党や政治家を支援しませんし、
その気もサラサラありませんが、
安倍、福田と続いた世襲議員の
政権放り出し劇を見ていて、
中曽根元首相のことを思い出しました。
福田さんや安倍さんの辞任とちがって
2003年(平成15年)、当時の小泉首相に
引退勧告を受けた際の中曽根元首相の
議員バッジ(職責)への執念はすごかったです!!
当時、その引き際(往生際?)に賛否両論が
渦巻いたことは記憶に新しいですが、まさに
「暮れてなお 命の限り 蝉しぐれ」という
自作の句のような生き様をそこに感じたことを
僕は鮮烈に覚えています。
ちょうど、その年の暮れに中曽根さんが
竹村健一さんとの共著で緊急出版した
「命の限り 蝉しぐれ(徳間書店)」という本を僕は蔵書してるんですが、
今、読み返してみても、ド迫力です!!
この本には異様な狂気を感じます。
傑出したリーダーの執念とはこういうものなのかと愕然とします。
中曽根さんの本は何冊も読んだんですが、
なんたってこの本が持つ、恐ろしい雰囲気は突出しています!!
(郵政解散の時の小泉さんの殺気と同じ種類のものです)
※以下、「命の限り 蝉しぐれ」からの引用
「まえがき」
日本が戦後の焼け野原から 高度経済成長を果たしたのは、 戦争へ行って帰ってきた復員軍人が 政界、官界、財界、学会に入り、 窮乏に耐えて何とか日本を復興しようとの一念に燃え、 魂を奮い立たせ、渾身の力を振り絞って 努力に努力を重ねてきたからである。 ところがその後の二世、三世は生まれたときから 銀のスプーンをくわえ、テレビ、自動車、美食の中に育ち、 父祖の労苦をきれいさっぱり忘れ去ってしまった。 日本人としての「こころ」を失ってしまった。
私の見るところ、彼らは哲学的にも思想的にも、 また気迫という点においても、貧相である。 国家や共同体の維持発展に関して必死の精神、 魂、悲願が窺えないのだ。そこをいかにして 立て直していくか、これがわが国にとっての 喫緊の課題である。
政治とは突き詰めれば、 魂であり精神であり気合なのだ。(中曽根康弘)
2003年(平成15年) 10月28日 - 高崎 「議員辞職にあたっての所感」
自分は国家のために命を捧げるといってきた 人間でありますから、国家的事業、国家のために 尽くし尽くし死んでいく、そういう決心を曲げないで やっていきたいと思うんです。
晩年の舞台においては、いままでの政治家や いままでの人がやれなかったことを 私はやり抜いてみせよう。みんな引退するとか 引っ込んでいるのがふつうのことでありますけれども、 私の愛国心はそれを許さない。
私は戦争に行って戦死すべき人間だった。 それを生き残ってきておるわけでありますから、 最後まで国家のために命を捧げる。 (中曽根康弘)
主義主張はひとまず置いておいて、
素直に文章を一文字ずつ読んでみてください。
いかに自分が“甘ちゃん”で “ひ弱”なのかが良くわかります!
僕のぶひろは醤油屋からだと4代目、電気屋だと3代目になる
モロ世襲社長でしたしね(笑い)
(参考)
中曽根康弘通産大臣の写真 - 昭和47年/1972年 NEBA設立総会
・凄みがある「内訟録 - 細川護熙総理大臣日記」 (細川護熙)
村内伸弘@ムラウチ ドットコム
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