東行生誕150年記念 「高杉晋作と奇兵隊」 東行庵
三千世界の鴉(からす)を殺し、 主と朝寝がしてみたい
(高杉晋作 都都逸)
西へ行く 人を慕いて 東行く わが心をば 神や知るらむ
(高杉晋作 句) ※西へ行く人=西行法師
おもしろき こともなき世を おもしろく
(高杉晋作 辞世の句)
12月8日が真珠湾攻撃の日だということすら
ほとんどの日本人に忘れさられているとすれば、
今日12月15日が何の日かを知っている方は皆無でしょう。。。
そうです、
旧暦ですが今日12月15日は
長州藩の肝っ玉男児・高杉晋作の“功山寺挙兵”の日なんです。
この功山寺挙兵(こうざんじきょへい)には、
若き日の伊藤博文も参加していました。
元治元年(1864年)12月15日深夜、
夜来降り積もった真っ白な雪景色の中、
死を覚悟した晋作はたった80名程度の同志を率いて
藩論回復のクーデターに立ち上がりました。
そうです、
晋作はこの瞬間に歴史の表舞台へと
疾風のように駆け上がっていったのです!!
僕は20代の頃に、
ここ功山寺をたずねたことがありますが、
境内には愛馬に鞭を当ててまさに駆け出そうとする
晋作の銅像が建っていました。
結果、このクーデターは際どくも成功に終わり、
長州藩の藩論は倒幕で統一、
長州藩全体が火の玉となって、
まるで何ものかに取り憑かれたかのように
明治維新へと突っ走り始めました!
功山寺挙兵
まさに、時代を打ち破る決起であり、
その時歴史が動いた感動的なできごとです。
40代の若者である僕のぶひろも、
20代で人生を終えた松陰や晋作のように
全身全霊、勇気を持って
世の中に立ち向かっていきたいと思います!
死して不朽の見込みあらば いつでも死すべし 生きて大業の見込みあらば いつでも生くべし
(晋作に向けた吉田松陰の言葉)
(参考)
"炎の教師"吉田松陰の遺書「留魂録」 - 二十一回猛士の死生観、ダイイング・メッセージ
・「覚悟の磨き方」 超訳 吉田松陰 不安と生きるか。理想に死ぬか。
・酔題馬関旗亭壁(伊藤博文の漢詩) & ポーツマスの旗(伊藤博文の名場面)
40代の若者・村内伸弘@ムラウチ ドットコム♣
▼世の中いろんな人がいる ☆\(^▽^ )/ にほんブログ村 幕末・明治維新ブログ村 を見る