スコールが止んだので、雨宿りしていた歩道橋から再び歩き始めて、
ムルデカ広場に入り、モナス(独立記念塔)へと向かいました。
今日は金曜日なので、イスラム教のお祈りの日にあたるそうです。
学校の子供たちがモスクへ向かって歩いていました。
白亜の大理石の塔のてっぺんには純金!の炎のレリーフ。
晴れていないので、キラキラ輝いていなくて残念です。。。
さあ、もう少しでモナス到着というところで、
またまた強い雨が降ってきました。
しかも、モナスは広いし、なかなか入口が見つかりません(泣)
柵がしてあって、モナスは見えるのに中に入れず近づけません!!
びしょ濡れになりながら、反対側に地下通路があることを
突き止め、なんとか入口にたどり着きました。
「東南アジアの人は、なんでみんなビーチサンダルなんだろう?」
シンガポールの時も思ったのですが、
答えはスコールにありました。
僕は靴下履いて、ニューバランスのシューズだったのですが、
ビーチサンダルと違って、
1回濡れるとなかなか乾かないんで、気持ち悪かったです。
ビーサンだったら、雨が止めばそれで終わりですからね。
スコールに見舞われる熱帯の人々が
靴下を履かない意味がびしょ濡れになって始めてわかりました。
僕はモナスの中のトイレの洗面所で、
靴下を手で絞りましたよ。
我ながら情けなかったですw
1975年完成、高さ137メートル。下から見上げたモナス(独立記念塔)
さっそくモナスの展望台に行きました。
展望台のエレベータ近くにいた係員の人が、
「ちょっと前まで 2時間待ちだったけど、
スコールがあったばかりだから、君はすぐ登れる。
ラッキーだね」と言ってくれました。
自分はスコールに濡れて、雨宿りをしていたので
アンラッキーだと思っていたので、
世の中って面白い!と思いました。
雨宿りでは、17歳のイスラムガールズともおしゃべりできたし、
災い転じて福となるって感じですね、世の中は(^^)
それと、係員の人が教えてくれたんですが、
塔の台座となる 2F部分が 45メートル、
地下にある歴史博物館の天井の高さは 8メートル
地面からの 2Fまでの高さは 17メートル。
45(年)と 8(月)と 17(日)で、
インドネシア独立の日 1945年8月17日を意味しているそうです。
スカルノ大統領、凝ってますね~
モナス展望台から見た大統領宮殿
デヴィ夫人(スカルノ元大統領 第3夫人)が住んでいた建物(写真中央の白い建物)
イスティクラル・モスク(インドネシア国立モスク)
奥の白い 3つの塔はカトリック教会の大聖堂(カテドラル)
ガンビール駅
国防省や国立博物館
林立する高層ビル群 ジャカルタは大都会です!
モナス展望台
モナスの地下
独立時、最初の国旗が収納されています
金色のインドネシア地図
独立宣言文が収納されているスペース
独立宣言文
金色の扉が開くと、
スカルノ大統領の音声(声)が歴史の彼方から
聴こえてきます。インドネシア独立!
大感動です!!
日付にご注目!
17 8 05 の日付、05は 2605年、我がにほんの皇紀です!!
独立宣言文の前の小学生の男の子たち
国章のガルーダ(神の鷲)に記されたサンスクリット語、
BHINNEKA TUNGGAL IKA (ビンネカ・トンガル・イカ / 多様性の中の統一)
エレベータの前で待ち構えていて
僕に勝手についてきている係員さんは
「いろいろの文化、ひとつの国」と説明してくれました。
小さい尻尾が 19、首が 45で 1945年。
大きい尻尾が 8で 8月。
羽が 17で 17日。
このように、このガルーダにも
1945年8月17日(独立記念日)という意味が
隠れているそうです。
また、ガルーダの胸のマークは係員さんによると、
パンチャシラ(インドネシアの建国5原則)を現していて、
真ん中の星は祈り、
鎖は人道主義
木は民族主義、
水牛は民主主義、
米と綿花は社会正義、
をそれぞれ現しているそうです。
やはりこれにもひとつひとつ意味があるわけでした。
地下のジオラマ
古代・ジャワ原人の時代から現代までのインドネシアの歴史を
ジオラマで見ることができます。
インドネシアとオランダ(東インド会社)との戦い
あちこちで、各地で、
インドネシアはオランダと 約350年間戦いました。
このジオラマを見ていると、インドネシアという国がたどった
歴史がいかに苦難に満ちていたかがわかります。
ハッタのインドネシア協会
1928年10月28日、インドネシア青年会議
1928年10月28日、インドネシア青年会議「青年の誓い」
我々インドネシア青年男女は、インドネシア国というただ一つの祖国を承認します。
我々インドネシア青年男女は、インドネシア民族というただ一つの民族を承認します。
我々インドネシア青年男女は、インドネシア語というただ一つの言語を承認します。
1945年(2605年)8月17日、インドネシア独立
1945年(2605年)8月17日、インドネシア独立
独立宣言文を読み上げる“建国の父”スカルノ
1945年(2605年)8月17日、インドネシア独立
1945年(2605年)8月17日、インドネシア独立
バンドン会議
地下の床は大理石でした。
僕に(勝手にw)ついてきてくれた係員さん
日本語上手でした、この係員さんのお陰でとても
よくインドネシアのことが理解できました。
自分が鴨ネギだということはわかってますが(笑)、
僕はインドネシアの独立に非常に興味があったので、
この方の解説を聞きながら、ジオラマなどが見れて良かったです!
ありがとうございました。
▼今回のインドネシア・ジャカルタ旅行記
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・インドネシア・ジャカルタ旅行記 02 ボルネオ島上空を通りスカルノハッタ国際空港へ
・インドネシア・ジャカルタ旅行記 03 サリナデパートとブロックM
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・インドネシア・ジャカルタ旅行記 09 歓迎の塔、シャングリラホテル
・インドネシア・ジャカルタ旅行記 10 トランスジャカルタ、大統領宮殿、スコールで雨宿り
・インドネシア・ジャカルタ旅行記 11 モナス(独立記念塔)とインドネシア独立
・インドネシア・ジャカルタ旅行記 12 イスティクラル・モスクと大聖堂
・インドネシア・ジャカルタ旅行記 13 インドネシア国立博物館
・インドネシア・ジャカルタ旅行記 14 オバマ少年像(高級住宅地・メンテン地区)
・インドネシア・ジャカルタ旅行記 15 スラバヤ通り(古美術通り)、にほん帰国
・アジア遊学 No.90 ジャカルタの今を読む / 勉誠出版
・アジアの大都市[2] ジャカルタ / 大阪市立大学経済研究所[監修]
・インドネシア 再生への挑戦 / 石田正美編 アジア経済研究所
・2009年インドネシアの選挙 / 本名 純・川村 晃一編 アジア経済研究所
・平成22(2010)年9月、ベトナム・ホーチミン
・平成22(2010)年8月、フィリピン・マニラ
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