アジア遊学 No.90 ジャカルタの今を読む / 勉誠出版
4月に同じシリーズの【アジア遊学123】 シンガポール都市論 / 勉誠出版を
読みましたが、今回はこのジャカルタ版を読んでみました。
このアジア遊学シリーズは、1人の著者じゃなくって、
複数の専門家が、それぞれのジャンルについて書いた
論稿がバランスよく掲載されてますので、広く、
そしてやや深くジャカルタのことが勉強できるんです。
そんなに厚くなく、行間も広めですからサラリと読めて助かります(笑)
(目次)ジャカルタの今を読む ・ジャカルタを問い込む
◎秩序とケイオスの都市 ・アジアメガシティの光と影 ・景観の中のジャカルタ 旧市街・モール・下町 ・ジャカルタの裏路地(カンポン)世界 ・都心カンポンの盛衰 ・熱気と混沌のパサール
◎亀裂とコントラストの社会 ・分節化と多層性の中のインフォーマルセクター ・地域保健活動とカンポンの女性の生活 ・夜警と夜回り ジャカルタにおける住民による安全確保とコミュニティ ・イスラームの商品化とメディア ・ジャカルタのベチャ引きたち 国家による暴力から民衆間の暴力へ
◎躍動する大衆文化 ・ことばが描く人々の息吹 インドネシア・ジャカルタの言語文化 ・ジャカルタ都市文化を映し出す大衆音楽ダンドゥット ・映画が描くジャカルタの人間模様 ・都市小説から見たジャカルタ ・ビッグ・ドリアンという街 タウン情報誌にみるジャカルタの現在
コラム ・洪水の襲来に悩むジャカルタ ・アーバン・インボリューション ・ミドルクラスとゲーテッド・コミュニティ ・ジャカルタの喧騒と静寂 ラマダーンとハリラヤの風景 ・若者とカフェ
この「ジャカルタの今を読む」は、
2006年8月の発行ですので、比較的新しい事象が
掲載されています。
ジャカルタは決して美しい場所ではない。 低地のスラム、きらめく摩天楼、 そして常に激しい大気汚染と 渋滞の中にある立派な有料道路。 これらがひしめきあっているカオスに満ちた迷宮、 それがジャカルタだ。
カオスに満ちた迷宮!
うわー、こんなの読むとこのアジアのメガシティ、
ビッグ・ドリアンことジャカルタに行ってみたくなりますね~
この文章だけでも無性に行きたくなります!
こういう混沌こそがアジアですよ!!
“希望の都市”
“いかれた都市”
“政治的にも象徴的にも中心であり続けてきた都市”
“ビジネスチャンスを求めるマネーがうなっている都市”
“象徴に溢れた都市”
“グローバル化する巨大都市”
“喧騒の都市”
“肌に合う人にはピッタリ合うが、合わない人にはまったく合わない都市”
“1945年の独立前までバタビアと呼ばれていた都市”
“物質主義に彩られた近代都市”
“夢と希望を売る都市”
“インドネシアの多様性の統一を体現している都市”
“人間性が犠牲にされる都市”
“世界で最も多様性に富んだ国・インドネシアが誇る首都”
“むんとする濃厚な匂いに満ちた民族と階層のるつぼ”
この本の中には、これらのように
さまざまなジャカルタのイメージが語られています。
世界がマクドナルド化している現代、
ジャカルタも、国際化というよりも、
無国籍化と呼べるのかもしれませんが、
世界中の各都市で見られるのと同じような
ライフスタイルや趣味嗜好、ファッションなどが
すでに広まっているそうです。
モータリゼーションがすさまじい勢いで進み、
新中間層の台頭が進み、中流化が進みます。
市の周辺部には彼らニューリッチが居住する
大規模なニュータウン、新興住宅地、マンションが広がります。
黄金の三角地帯が形成され、
高速道路、ショッピングモール、大型スーパーなども
どんどん出来上がります。
反面、排気ガスにまみれ、光化学スモッグに
まみれているのもジャカルタの一面です。
ジャカルタは中心部のオフィス街から
一歩表通りを離れると庶民の住宅地になるそうです。
また、街のいたるところにパサール(伝統的市場)があって、
人びとが肩をぶつけ合うようにして行き交っているそうです。
むっとするような熱気、異臭、迷路のような通路、
ジャングルのようにあふれだす商品。
カキリマと呼ばれる露天商。
ジャカルタへ行ったら、
この古くて猥雑なパサールを
絶対に冷やかしてみたいと思います。
これぞまさに東南アジアですよっ
僕のぶひろは市場が大大大好きです(^^)
あと、経済開発が推し進められ
膨張を続けたジャカルタには、
その間に流入した地方出身者が多いそうです。
ラマダン(断食月)が終わり、ハリラヤという休暇に入ると、
人びとはそれぞれのふるさとへ喜んで帰郷するそうです。
この間、ジャカルタは日頃の喧騒がうそのように
静寂に包まれることがそれを証明しています。
それと、ベトナムのホーチミンでも見かけましたが、
ジャカルタは毎年雨季に
「毎年やってくる客」と呼ばれている洪水に見舞われ、
その度に街全域が完全に麻痺しちゃうそうです。
日本ではもはや洪水なんて死語ですけど、
ジャカルタでは現実に大問題になっている模様です。
その他、
「ポスヤンドゥ」という地域保健活動が実利的な
相互扶助の仕組みになっていることも知りましたし、
貧富の差や失業問題を抱え治安が悪いジャカルタでの
町内会、隣組での夜警(夜回り)活動のことも知りました。
それから、イスラムの話ですが、
有名なメッカ巡礼の巡礼者数は、
インドネシアからの数が一番多いそうです。
そうです、インドネシアは
世界最大のイスラム教徒(ムスリム)を擁する国なのです。
また、イスラムのヴェールを積極的に着用する女子学生が
大量にあらわれるなどの現象が最近顕著なようです。
女性のヴェール着用は“抑圧の象徴”のように
考えられがちですが、これらは“信仰の自由”を求めた
彼女たち自身の運動として始まったそうです!
精神的な充足を求めるという宗教本来の目的だけではなく、
イスラム的であることがおしゃれでカッコイイという感覚が
どうやらインドネシアでは芽生えているようなのです。
CASIOの目覚まし時計で起き、 TOTOの容器で水浴、 MIZUNOのスニーカーを履き、 TOYOTAに乗って大学へ。 KOKUYOの筆記用具で勉強し、自宅に戻って SONYのステレオ、 SHARPのテレビ、 TOSHIBAのビデオデッキで楽しむ・・・・
ジャカルタではこんな風に、
日本製品が溢れているそうです(笑い)
僕ら日本人からすると、すっごく嬉しいですが、
まさに日本が氾濫している状態になっちゃってるみたいです。
最後になりますが、
インドネシアには 250以上の民族が暮らしていて、
それぞれの民族は独自の言語を持っています。
でも、それぞれの言語はまったく異なっているそうなので、
民族を超えて通用する共通語が必要です。
ズバリ、それがインドネシア語に当たるそうです。
多民族国家のインドネシアでは、このインドネシア語が
国家統一の象徴であり、民族統一のための
最大の武器であったわけです。
インドネシアの国章の中、
ガルーダ(鷲/わし)が足に掴んでいる旗印には
「多様性の中の統一」という言葉が記されていますが、
この言葉は 250以上の民族はそれぞれの文化や
習慣、宗教などを持っているが、それらを大切にしながらも
一つの国としてインドネシアを調和させていこうということだそうです。
いろいろな違いがあっても、
国としては一つであるという思いが込められているんだそうです。
そして、その実現になくてはならないのが
インドネシア語だということなのです。
インドネシア語を使うということは、
ある意味で、民族的な違いはあっても、それを超えて、
インドネシアという一つの家族の一員であるということを
意思表示することなんだそうです。
BHINNEKA TUNGGAL IKA (ビネカ・トゥンガル・イカ)
「多様性の中の統一」
すばらしいことばですね!!
一つの祖国・インドネシア 一つの民族・インドネシア民族 一つの言語・インドネシア語
ジャカルタでは毎年10月28日には、
1928年のその日に採択された「青年の誓い」を記念して、
街のメイン道路にこの評語が書かれた
横断幕が掲げられるそうです。
(僕が読んだインドネシアの本)
・ジャカルタ路地裏フィールドノート / 倉沢愛子
・アジア遊学 No.90 ジャカルタの今を読む / 勉誠出版
・アジアの大都市[2] ジャカルタ / 大阪市立大学経済研究所[監修]
・インドネシア 再生への挑戦 / 石田正美編 アジア経済研究所
・2009年インドネシアの選挙 / 本名 純・川村 晃一編 アジア経済研究所
(参考)
・じゃかるた新聞 インドネシア最新ニュース
・インドネシア文化宮 - インドネシア METRO TV(メトロテレビ)東京支局
・インドネシア語技能検定試験 - 日本インドネシア語検定協会
村内伸弘@ムラウチ ドットコム♣
▼世の中いろんな人がいる ☆\(^▽^ )/ にほんブログ村 インドネシア情報ブログ村 を見る