平成2年(1990年)。のぶひろ22歳
この年も僕は「第一家庭電器・三鷹店」で修行中でした。
電気店の修行もだんだんと慣れてきて
社会人としても徐々に自覚が出てきたときだったと思います。
第一家電時代は“店取り(店から行く商品取り付け)”といって
自分で売った物を、自分でお客様のご自宅まで運んで、
自分で取り付けるという“究極”の自己責任システムがあって
武蔵野市西久保とか、
三鷹市上連雀とかよく“店取り”に行きました。
いつだったか若い看護婦さん?の寮かなんかに
取り付けに行ったら、取り付けの様子をみている
看護婦さんがやたら僕の近くまで近寄ってきて
やばい感じになって、ほうほうの体で
命からがら逃げ出してきたことを覚えています!w
うぶでしたね(笑い)
さてさて平成2年、社会全体でいえば、
「川島紀子(きこ)」さんでしょ!間違いなく
“きこ”さん、本当におキレイでした。
「(紀子さんが)自宅でテレビを見たことがない」という話を
聞いて、衝撃を受けたことを思い出しますw
でも、僕自身、平成も20年近くなって
テレビをほとんど見ていないことに気付きました。
最近、テレビ本当に見ないです(笑い)
礼宮様(現秋篠宮様)と紀子さんが
斑尾高原のスキー場で出会ったなんて
話に憧れたものです。はっはっは、懐かしいね・・・
あとは例の
ゴッホの「ガシェ博士の肖像」。
覚えてますか?
大昭和製紙名誉会長の斎藤了英さんが
なんと125億円で落札したという“事件”ですよ、
125億円で1枚の絵を買う人が当時の日本にはいたんですねw
すごいです!
125万でも、1億2500万でもないですよ、
125億円ですからね!!!!
絵1枚、125億円。
まあ、これが当時の日本であったわけで、
まさに斎藤さんは “ミスターバブル”という
称号がふさわしいでしょう(笑い)
あのジュリアナ東京と並んで
まさにこの「ガシェ博士の肖像」は
“バブルの象徴”なのでしょう。
ジュリ扇持ったお立ち台のワンレンボディコン娘は
今はどこに行ったんだー、わっはははw
あと、個人的には
この頃に架かった「横浜ベイブリッジ」が印象深いです。
ある女の子に、「連れてって連れてってー」とせがまれたなあ、
「ベイブリッジ、ベイブリッジ」とその娘(こ)は
いつもベイブリッジとしか言わなかった(笑い)
面倒で行かなかったけど、
いま、思うと連れて行ってあげればよかった、
にんげんの儚い(はかない)一生のことを思うと、
彼女に横浜ベイブリッジの夜景を見せてあげればよかったと
この歳になって思います。
人生って、空しく切ない面も多いから、
暖かく甘酸っぱい思い出を
できるだけつくっておけば良かったよね。
彼女の瞳に映るベイブリッジの光も
さぞかしまばゆくって素敵だったんでしょうね、
今思うと残念です...
▼平成の20年間を振り返る
平成 2年 (西暦1990年/昭和65年)
※平成と昭和は和暦(元号)、昭和65年以降は参考(架空)
【平成22年 2月22日 追記】
【さようなら平成!ありがとう平成!】
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村内伸弘@ムラウチ ドットコム
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