平瀬橋 … エンタープライズ寄港阻止闘争の主戦場
佐世保橋(終戦までは海軍橋) … 同じくエンプラ闘争の主戦場
今やジャパネットたかたの本社や佐世保バーガーで有名な長崎県佐世保市。
歴史好きな僕のぶひろは、
昭和43年(1968年) 1月の米・原子力空母エンタープライズ入港時に
佐世保で起こったエンプラ入港阻止闘争に興味がありました!
三派系全学連の学生たちが東京から急行「西海(さいかい)」に乗って、
はるばる佐世保へ駆けつけたらしいのですが、その時の写真を見ると
当時の学生が持つエネルギーに正直身震いする思いです。
学生たちが夜汽車に乗って佐世保へ向う。
若さの特権!
無垢なエネルギー爆発!
昭和43年、ニッポンは熱かった!!
>昭和43年1月17日、午前9時45分 三派全学連を乗せた夜汽車・西海が
>長崎県・国鉄佐世保駅に到着。
>手に角材、口に手拭いをあてたヘルメット姿の学生約800名は
>佐世保駅のプラットホームで気勢をあげ、改札を通らずに引き込み線を伝い、
>基地に通じていた平瀬橋へと向かったそうです。
>
>平瀬橋に着いた三派全学連の学生を1400人の機動隊が待ち構えていて、
>橋の中ほどには既にバリケードが張られていたそうです。
>角材、投石。
>三派全学連は基地突入のためにバリケード突破を狙ったが・・・
>機動隊側から放水、そして催涙ガス。
>佐世保の街はこの日から数日間、騒然とした空気に包まれることになったのです。
> (以後、1月21日までに 4度衝突、重軽傷 519名)
のぶひろはこの現場を見てきました。
歴史といってもつい37年ほど前のことですので
当事者や事件での重軽傷者もまだご健在ですし、あまりにも生々しすぎるのですが
あえて素直にブログに書きたいと思います。
もちろん、破壊活動や凶器の使用などは絶対に許されないことなのですが、
視点を“人間のエネルギー”だけにおいて考えると
良きにつけ悪しきにつけ、当時の学生がかくも燃えていた、
そして怒っていたことは特筆に値すると思います。
ようは元気なんです!元気、元気!!元気が一番。
元気があればなんでもできる!!
若々しい、じつに若々しい!
熱気がすんごい、スチューデント・パワー。
今の僕たちが完全に失ってしまったのが
この社会や世の中に対する情熱的で一途な行動だと思います。
僕が生まれた年に... 佐世保で起きたこの事件、
忘れさられているこの事件の現場に立って僕が感じたことは
社会や世の中の矛盾を自分自身の問題として
立ち向かって行かなければという使命感でした。
ぼくも体が芯から震え出すようなハジケル気分が味わいたいんです。
ガンバリマス。
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▼今回の九州旅行コース
福岡・柳川 川下り「どんこ船」とうなぎのせいろ蒸し
長崎・佐世保 「昭和43年1月、エンプラ事件」 の現場へ行ってきました。
※このブログ記事は左翼学生運動や破壊活動を美化するものではありません。
また、株式会社ムラウチドットコムとも一切関係がなく、
村内伸弘個人のプライベートな私的感想ですので予めご承知おきください(^^)
(参考)
・夢の高度成長期: 神武景気→岩戸景気→オリンピック景気→いざなぎ景気
・1968年 バリケードの中の青春「あの頃キミは革命的だった!」