1992年5月の「日本新党結党宣言(細川護熙)」

都議選が告示され、衆議院議員の任期満了が迫り、
政界が日に日に慌しく、そしてキナ臭くなってきているようです!

麻生首相は「私が決める。」と解散の時期を模索している模様です。

衆院が解散されれば、
自民公明」と「民主」が政権をかけてぶつかります。
幸福実現党」という政党も立ち上がりました。

政界も僕らの人生も“一寸先は闇”
果たしてどんなドラマが待っているのでしょうか!?


投票率100%!

僕のぶひろは成人してから、ただの一度も選挙を棄権していませんし、
白票を投じたことも一度もありません。
ですが僕は一商人ですので特定の政党や政治家は支持してませんし、
立場的にはいつも完全に中立です。そんな中でも
1992年(平成4年)5月に雑誌「文藝春秋」に発表された
細川護煕元首相の
“日本新党結党宣言(「自由社会連合」結党宣言)”は
なんど読み返しても理想主義と純粋な決意に溢れた
すばらしい名文だと思っています。

以下、平成が幕明けた初めの頃、1992年6月号の
「文藝春秋」からの抜粋(引用)です。よろしければご覧ください。

17年も前の文章ですが、
今改めて読み返してみても、輝きをまったく
失っていないのではないでしょうか .。.:*・゚☆
時代を動かす文章とは
こういう“途方もない書生論”のことをいうんだと思います。

   ↓↓↓↓↓

日本新党結党宣言(「自由社会連合」結党宣言)

日本最大の危機は、政治が内外の激変に対処する意志と能力を失った ことにある。冷戦の遺物としての 「保革対立」体制、既成政党の離合 集散による「政界再編成」では、この危機を打開することはできない。 唯一の選択肢は、新党を結成して有権者の半数近い「支持政党なし」 層の要望に応えることである。「あげるべき時に声をあげなかった」 わが祖父近衛文麿の悲劇に、深く学びたいと思う。

一、新党結成の決断

国際情勢がかつてない激動に見舞われているなかで、日本の政治状況 は、幕藩体制下の鎖国のなかに、惰眠をむさぼっていた幕末の状況と 酷似している。

日本が直面している最大の危機は、日本の政治が自らに課せられた 責務をまともにとらえていないことにある。日本の政治は、この歴史の 転換期の本質を認識することも、転換期に対処する基本方針を提示 することも、日本の進路の転換をめざして新しい国民的合意を形成 することもできずに、混迷を続けている。日本の既成政党は、与野党 ともに内外増勢の激変に対処する意志と能力を失ったまま、集権的 官僚システムに寄生してひたすら利権を求め、「政治改革」の掛け声を 繰り返しているに過ぎない。

既成諸政党の離合集散による「政界再編成」では、この危機的状況を 打開することはできない。昭和三十年の保守合同と社会党の統一に よって形成された戦後日本の「保革対立」の政治体制(いわゆる 「一九五五年体制」)ならびにその基盤である政・官・産複合体としての 集権的国家システムは、追いつき型近代化時代ならびに東西冷戦の 集結とともにその歴史上の役割を終えた。

古い集権的国家システムの上に貝殻のようにへばりついた既成の政治 体制は、国民の大多数が求めている真にゆたかな生活の実現と、国際 社会と共存共栄できる新しい社会体質への転換を妨げている最大の 構造障壁である。この最大最強の構造障壁を解体し、新しい分極的、 開放的な国家システムを創造するための抜本的な政治改革を断行 しない限り、二十世紀末の世界史的転換に対応することはできない。 このような改革のためには、「保革対立」構造を超える第三の道、新しい 政治理念と広い国際的視野、清新な政治的リーダーシップをもった 新しい政治集団の結成以外には最早残された道はない。新しい選択と 決断のためにわれわれの世代に残された時間はあまりない。 <以下省略>

二、新党結成への道 <省略> 最近の世論調査によれば、「支持政党なし」層は再び四五パーセント 前後に急増する勢いを見せている。三五パーセント前後に下落した 自民党、九パーセント台に激減してしまった社会党、一パーセントから 三パーセント台の公明党、民社党、共産党などの既成政党を断然引き 離して、いわば, 「支持なし党」が単独トップの座を占めつづけている。 つまり、有権者の五割近くが、選択に価するまともな政党をどこにも 見出せないという状態に投げ出されているのである。

このような状態は、日本の議会民主制の将来にとって極めて不健全な 状態であり、危険な状態である。これは与野党を問わず既成政党が、 国民の変革への期待を裏切り続けてきたことの結果にほかならない。 硬直化、老朽化した既成政党は歴史の巨大な転換に完全に取り残され てしまったのである。かくして、私と私の同憂の士の前に残されたただ ひとつの選択は、新党結成への道であった。一九八九年のベルリンの 壁の崩壊が、東西冷戦構造の終結とソ連・東欧諸国における国家社会 主義的統制の崩壊をもたらしたように、日本の中央官僚による国家統制 の厚い壁を瓦解させ、立法府から失われてしまった議会民主制本来の 機能を回復させることこそが、激動する内外情勢のなかで危機に立つ 日本の政治を蘇生させ、日本の地方の多様性と活力を再生させ、日本 人のゆたかな個性と創造性を復活させるための、残されたただひとつの 道である。

三、わが新党「自由社会連合」の基本目標 <省略>

四、「自由社会連合」の政策プログラム <省略>

五、「第三の開国」への道

新党による日本改革の基本戦略は、海外からの日本批判に脅えて自閉 的になり、日本社会が持つさまざまなエネルギーを日本国内に「封じ 込める」ことではない。逆に日本社会が持つきまざまなエネルギーを 地球規模で活かすことをめざして、大胆な対外開放政策を推進し、明治 維新以降、特に戦後経済成長期を通じて過度に集権的・画一的・硬直的 になってしまった政治・経済・教育・文化のシステムを、分権化・多様化・ 流動化していくことである。これは譬えてみれば、幕末の黒船、戦後の 占領軍による開国に続く、いわば「第三の開国」である。

改革が実現されたあかつきには、半世紀に及ぶ事実上の一党支配 体制が打破されて、活力ある複数政党制、議会民主制が持つ本来の チェック・アンド・バランスの機能が回復されるであろう。過度に集権化 し、肥大化した行財政の権限は、全国各地方自治体に適切に分散 される。東京大学を頂点とする教育ピラミッドは解体され、一世紀余り 前まで日本全国各地に花咲いていた地域ごとの多様な、個性ある文化 が蘇生することであろう。

そして、日本型集権システムのこうした解体こそが、日本の対外関係に 存在しているさ支ざまな構造障壁を打破し、より柔軟で調和のとれた 日本の対外関係再構築の出発点となるであろう。

私が提唱する「第三の開国」の眼目は、過去二回の開国の場合と違って、 外から、上から強制されるものではなく、自立し、成熟した個々人が、 日々の生活感覚に根ざして主体的に声を上げることから始まるという 点にある。政界のプロではないひとりひとりの私人が、政治の本来の 主人公として正面から堂々と名乗りを上げることである。

かつては国会に議席を持ち、二期八年間にわたって県政を預かった者が、 純粋な「一私人」を名乗ることには、いきさかの抵抗があるかも知れない。 しかし、私と私の同志は、少なくとも派閥間の葛藤に明け暮れる既成の 「政治家」とは同類ではないと考えている。

多くの国民が、政治に背を向けかけている今日の日本の政治状況 だからこそ、政治の本道を求めて、声をあげることに意味があるのでは ないか。私は小手先のことなど考えていない。与野党すべての既成 政党を頭越しにした新党結成は、これまでの「政治の常識」からすれば、 途方もない書生論だと笑われよう。しかし「日本の常識」が「世界の 非常識」ときえ言われ始めている今こそ、「政治の常識」に反する書生 論が必要なのである。私の新党結成の提案に賛同される方は、私と 同じように声をあげ、是非、私と行動を共にしていただきたい。

他方、新党の理念と政策に反対される方々もまた、「反対」の声を はっきりとあげ、私たちの新党と真正面から対決してもらいたい。日本の 政治を既存体制の度し難いよどみから救い出すには、こうした対決に よって政治に健全な緊張関係をみなぎらせることが不可欠だからである。

いま、この論稿を発表するに当たって、私は私のもうひとつの血筋で ある母方の祖父、近衛文麿のことを想起せざるを得ない。ひとつには、 両大戦間の危機の時代である一九三三年(昭和八年)、祖父が今の 私よりも十歳も若かった時に、当時の月刊誌『キング』二月号に「世界の 現状を改造せよ」という論文を発表して、世界平和への強い意思を表明 していることである。

もうひとつは、歴史家の多くが日米開戦の破局に向かいつつあった 最後の決定的局面において、私の祖父が「あげるべき声」をあげて 軍部の動きを阻止しなかったことを批判していることである。この批判の 当否はともかく、私が歴史の教訓として祖父白身の悲劇的体験から 深く学んだことは、「声をあげるべき時にははっきりとあげなければ ならない」ということである。今こそその「声をあげるべき時がきている」と いう天の声が私には聞こえる。

独善に基づく暴走の歴史は二度と繰り返されてはならない。日本は 二度と再び国際的孤立への道を歩んではならない。私は日本を再度 奈落の底に陥れないために、今こそ一切の打算と私情を捨て、 はっきりと声をあげる道を選ぶことにした。

勿論、日本の政治の変革が一度や二度の試みで成就するほど簡単な ものでないことは、私も十分過ぎるほど承知している。しかし、日本と 世界の将来を思うとき、私は自ら大海の捨て石になることを恐れない。

荒海に漕ぎだしていく小舟の舳先に立ち上がり、 難破することをも恐れずに、 今や失われかけている理想主義の旗を掲げて、 私は敢えて確たる見通しも持ちえないままに船出したいと思う。 歴史を振り返ってみれば、理想のための船出というものは、 いつもそういうものだったのだ。

この呼びかけに応じてくれる勇気ある同志たちが、 必ずや全国津々浦々から海鳴りのように呼応して立ち上がり、 やがて大きな船団が形作られるものと私は確信している。




特に、最後の
「歴史家の多くが日米開戦の破局に向かいつつあった」以降の
文章は古今東西の名文中の名文ではないでしょうか!!

烈々たる日本人という感じがまさにします!

(参考)
平成4年/昭和67年 (平成の20年間を振り返る No4-1992年)

小泉純一郎首相、殺されてもいい気構え

「命の限り 蝉しぐれ」 石にかじりついても職責を尽くす気概 (中曽根元首相)

凄みがある「内訟録 - 細川護熙総理大臣日記」 (細川護熙)

都知事選 元首相脱原発コンビ 細川・小泉元総理の街頭演説

人間は、やっぱり出来損ないだ。田中角栄元首相


村内伸弘@ムラウチ ドットコム

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