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田中正造の生家(旧宅)と
“田中正造ゆかりの博物館”佐野市郷土博物館にも行きました。
田中正造生家では、地元ボランディアの方が
丁寧に説明をしてくれました。月に1回近所の方々が
交代で説明員をしているそうです。
こんなところにも、民衆に慕われた正造の
匂いが残っているようです。
僕が行った日は梅雨入りの日で、
雨がザーザー降っていて、
己のすべてを賭けて戦った正造の激しさを
天が僕に伝えてくれるかのように
途中からは激しく激しく降りました。
田中正造の門人・嶋田宗三は
「田中翁の全人格を一語で表せば愛」と述べていたそうです、
そんなことが正造が生まれた部屋の横の
説明に書かれていました。
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愛用の籐椅子に書かれた正造直筆のサイン
明治天皇に謹奏した「直訴状(直訴文)」
正造が明治天皇の馬車に駆け寄り、命を賭けて謹奏した
「直訴状(じきそじょう)」のレプリカが土間に飾ってありました、
じっくりじっくり読みましたが、
レプリカとはいえ、その文面からは
死を決して直訴を行おうとする決意が
にじみ出ていると僕には感じられました。
時代を超えて正造の強い思いが迫ってきました。
ボランティアさんの説明だと直訴決行の朝6時まで
正造は浄書していたそうです。
ちなみにこの文章は幸徳秋水が執筆したそうです。
昨年、四万十市(旧中村市)を訪れた際に
幸徳秋水のお墓にお参りしてきましたが、
歴史上の人物が歴史のある一瞬に交錯し、
それぞれの郷里に眠る。
歴史の醍醐味です!!
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その後、
“田中正造ゆかりの博物館” 佐野市郷土博物館にも立ち寄りましたが、
ここの展示量は他を圧倒しています。
市の博物館だけあって、キレイで重厚な雰囲気が
ちょっと正造っぽくないかな?とも思いますがw
遺留品、ビデオ、解説などの充実ぶりは
この博物館の名前が実質的には
田中正造博物館であることを示しています。
PS
あっ駆け足で正造ゆかりの地をめぐったので
秘伝・青竹打ちの「佐野ラーメン」食べ損ねました・・・
「佐野ラーメン」は次回に持ち越~し(笑い)
・旧谷中村遺跡(渡良瀬遊水地)
・田中正造終焉の地、大葬儀があった佐野厄よけ大師
・田中正造生家(旧宅)・佐野市郷土博物館
(参考)
村内伸弘@ムラウチ ドットコム