田中正造と一緒に記念撮影するのぶひろ
真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、 村を破らず、人を殺さざるべし。
東武佐野線・渡瀬(わたらせ)駅のすぐ近くにある
「NPO法人・田中正造記念館」を訪れました。
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昨年の10月に開館したと聞いていて
行きたい行きたいと思っていたのですが、
なかなか果たせず、
くやしい思いをしていたのですが、
あるきっかけがあり栃木を訪れたときに
ついでに立ち寄ることができました。
係りの方がお茶を出してくださったり、
親切にいろいろと教えてくださったり、
決して豪華な設備ではなく、
大変申し訳ない言い方ですが、
一見みすぼらしいほどの記念館なのですが、
接待があったかくって、心がこもっていましたし、
正造の生涯や足尾鉱毒事件の悲劇をキチンと
伝えていてすばらしい記念館だと思いました。
足尾鉱毒事件、田中正造関連の
書籍(閲覧可能な蔵書)の充実ぶりはすばらしいです、
時間がなかったのですが、
1週間くらい入り浸って読み込みたいですね!
手づくりの記念館ですが、
こういう記念館タイプの記念館こそ、
本当だと思いました。
僕が感動したのは
正造の葬儀の写真です。
正造の葬儀にはなんと数万人もの人が集まったそうです。
民衆の側に立ち、民衆とともに戦い暮らし、
民衆に慕われ、民衆に支えられた
田中正造というにほん人の凄さが葬儀の写真を通じ
僕にダイレクトに伝わってきました。
旧谷中村、佐野市郷土博物館や生家などと合わせて
ぜひあなたも訪ねてみてください。
●NPO法人・田中正造記念館
群馬県館林市足次町61番地
TEL: 0276-75-8000
(参考1)
足尾鉱毒事件の歴史
足尾鉱毒事件は、明治中期以降、栃木県足尾町の足尾銅山から
廃棄される鉱毒(おもに硫酸銅)が足尾山地を水源とする渡良瀬川を
汚染し、下流の沿岸の耕地を荒廃させ、これに抗議する農民らが
損害賠償や鉱業停止を要求する大衆運動を起した事件です。
特に地元出身の代議士田中正造がその先頭に立って奔走し、
更に社会主義者や学生などが被害民の救済のために運動し、
明治時代の大きな社会問題となりました。
※引用:たてばやしと鉱毒事件
(参考2)
・赤貧洗うがごとき
・足尾鉱毒事件 田中正造記念館
・田中正造終焉の地、大葬儀があった佐野厄よけ大師
・田中正造生家(旧宅)・佐野市郷土博物館
(参考)
村内伸弘@ムラウチ ドットコム
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