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埼玉方面から環境問題(公害問題)の原点である
旧谷中村を目指して車を走らせました。
「茨城県に入りました」
「栃木県に入りました」
「群馬県に入りました」
「埼玉県に入りました」
まずビックリしたのが、渡良瀬遊水地の近くになると
カーナビのアナウンスが目まぐるしく変わったことです。
日本中でも4つの県が接している場所は
なかなかないと思いますので
まずこれがビックリしました(笑)
と同時に、
ビックリしたのが、緑や水が豊富な
渡良瀬遊水池周辺の広大な自然でした。
高さ2メートル近い背の高い葦(ヨシ)が群生する
ヨシ原の中を車を走らせたんですよ。
なんだかドライブが楽しかったです!
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そして、廃村100年を昨年迎えた谷中村は
この自然の中に当時の面影を若干だけ残しながら
静かに静かにたたずんでいました。
晩年、義人・田中正造が自らの
全精神・全人格を捧げた「谷中村(やなかむら)」。
雷電神社跡、延命院共同墓地跡、谷中村役場跡などに
たたずむと、キジなどの鳥や虫たちの鳴く声がひっきりなしに
聞こえてきましたが、人声はかすか遠くから聞こえて
くるだけでした。
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谷中村・廃村反対運動。
かつて、この場所で田中正造が
渡良瀬川沿岸の被害農民のために奮闘したと思うと、
感慨深いものがあります。
解説の看板には正造のこんな文章が記されていました。
谷中と銅山の戦なり、
官憲これに加わりて銅山を助く、
人民死を以て守る。
何を守る憲法を守り自治を守り祖先を守り
ここに死を以て守る。
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・旧谷中村遺跡(渡良瀬遊水地)
・足尾鉱毒事件 田中正造記念館
・田中正造終焉の地、大葬儀があった佐野厄よけ大師
・田中正造生家(旧宅)・佐野市郷土博物館
(参考)
村内伸弘@ムラウチ ドットコム
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