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正伝 ホーチミン / ベトナム労働党中央党史研究委員会

正伝 ホーチミン / ベトナム労働党中央党史研究委員会 真保潤一郎(訳)

  

レーニンのテーゼは私を感激させ、どんなに確信を与えたかしれない。 私は感激のあまりうれしくて泣きだしてしまった! 一人で部屋にいて、大声をだし、まるで群衆の前にいるように演説した。 “被抑圧民族のみなさん!これはわれわれが必要とするものだ。 これがわれわれを解放する道だ!”

一般的に労働者に呼びかけるときには、 プロレタリアなどという言葉をつかってはいけない。当面、われわれは フランス植民地主義者を打ち破ぶり、民族を解放しなければならないから、 すべての人びとの愛国心に呼びかけを行なわなければならない。

革命の戦士諸君、解放の時はきた。われわれは 敵を打ち破るため全人民を指導して、独立の旗を高く掲げよう。 諸君の耳に祖国の神聖な声は大きくひびいてくる! 英雄的な諸君の熱い血は、その心の中で燃えたぎっている! 全人民の戦う意志は諸君の指導を待っている! われわれは前進しよう! 全人民は前進しよう! 一致団結して日本・フランスを打ち破り追出そう!

武装勢力の発展は主として 人民と大衆の政治闘争を土台にしなければならない。 大衆の各革命組織が強化発展され、大衆の政治闘争が 強化されればされるほど、武装勢力の組織と武装闘争を 強化する強固な基礎をもつことになる。

親愛なる同胞の皆さん! ・・・・・・現在、日本軍は瓦解し、救国運動は国中に広がっている・・・・・・ いまやわが民族の運命にとって決定的な時がきた。 全国同胞はわれわれの解放のため、立上がり、自らの力を結集せよ。 世界中の被抑圧諸民族が互いに競って前進し、独立の権利を奪い取ろう。 われわれはのろのろしては失敗する。 前進せよ!前進せよ!ベトミンの旗の下に、同胞よ勇敢に前進せよ!

(独立宣言) 八十年以上にわたるフランスの支配に対し、 ねばりづよく抵抗してきた民族、 そして、最後の数年間をファシストに対し、 連合国とともに戦った民族、 この民族こそ自由になるべきである! この民族こそ独立すべきである!・・・・・・ ベトナムは自由と独立を持つ国家である。 そして、事実上、すでに、自由と独立の国家である。 ベトナム民族すべては、この自由と独立の権利をまもるため、 あらゆる精神的、物質的な力、生命と財産を ささげることを決意している。

農民は民族の大きな力である。 労働者階級の忠実な同盟者である。抵抗戦争、建国を 成功させたいのならば、独立と統一をほんものにしたいならば、 農民の力にもどづかなければならない。

社会主義革命は、わが国で人が人を搾取するあらゆる制度を 廃止し、全人民を満たされた生活に導くためのものである。 これは人類の歴史で最も偉大かつ輝かしい 革命であるが、最も困難、かつ複雑な革命である。

われわれの国は万里離れていても、一家であり、 世界のプロレタリアは、みな兄弟である!

わが民族はひとつであり、ベトナムはひとつである。 わが人民は、かならずあらゆる困難を克服し、 国土を統一して、南北を一家とすることを 完全に実現するであろう。

わが国すべての軍民は百万人が一体となって 革命的な英雄主義を高く掲げ、犠牲を恐れず、 困難を恐れず、抵抗戦争を断固として強力に推し進め、 決戦決勝、アメリカ軍が一人残らず撤退するまで戦い、 かいらい軍とかいらい政権が倒れるまで戦い、 南部を解放し、北部を守り、祖国の平和的な統一を実現させよう。

(遺書) わが人民の反米救国の戦いは、さまざまな困難と、 より多くの犠牲をたどらなければならないが、 必ず完全に勝利するであろう。

(遺書) (幹部や党員は)革命道徳をまじめに身につけ、 ほんとうに勤倹廉正、公平無私でなければならない。 わが党を清潔にし、人民の指導者として、 まことに人民に誠実な奉仕者として、 はずかしくないようにしなければならない。

今年の一月から七月まで、わが国の北部では二百万人の 人びとが飢餓で死んだ。それに続き、洪水があり、 飢饉はますます深刻となって、人びとは一層苦しんでいる。 われわれが茶碗を手にするとき、飢えている人のことを思えば、 身を引きさかれるような気持ちになる。 そこで私は全国の同胞に提案し、私が最初に実行したいことがある、 それは十日に一回、食事を節約し、一ヶ月に三回節約して、 その米で貧しい人びとを助けるということだ。

われわれは全人民の団結があるから、必ず勝利するのだ。 われわれの戦いは、正義であるからこそ必ず勝利する。

われわれはすべてを犠牲にしても、決して国を失うことを 甘んじないし、決して奴隷とならない! 同胞のみなさん! われわれは立上がらなければならない! 男も女も、老人も若い人も、宗教、党派、民族の区別なく、 ベトナム人であるならば、立上がって、 フランス植民地主義者と闘い、祖国を救おう。 銃のあるものは銃をもち、剣のあるものは剣をもち、 剣のないものは鋤(すき)、鍬(くわ)、棍棒をもち、 反植民地主義、救国の戦いに力をつくそう。 兵士、民兵のみなさん! 救国のときはきた。血の最後の一滴まで犠牲にしても、、 国土をまもろう。苦しい抵抗戦争であろうとも、 犠牲的な堅い決意をもってすれば、勝利はかならず わが民族の手に帰する!

アメリカはベトナム南部で五十万人、百万人あるいはそれ以上 兵員を増強して侵略戦争を押し進め、 また、何千機もの飛行機を使い、ベトナム北部への爆撃を 強化することができるかもしれない。 しかし、かれらは英雄的なベトナム人民による 反米救国の鉄のような意志と決意を絶対に 揺るがすことはできないことを知るべきである。 〔かれらが凶暴になればなるほど、その罪悪は一層重大になる。 戦争は五年、十年、二十年あるいは、それ以上長びくかもしれないし、 ハノイ、ハイフォンおよびいくつかの都市、企業の基礎が 破壊されるかもしれない〕。 しかし、ベトナム人民は絶対に恐れない。 独立と自由ほど尊いものはない。 勝利の日に、わが人民はより壮大な、よりすばらしい祖国を ふたたび建設するだろう。

前途に多くの困難や辛苦が待っていようとも、 わが人民は必ずや完全な勝利をかちとることができよう。 アメリカ帝国主義者は必ずやわが国から撤退しなければ ならなくなろう。わが祖国は必ずや再統一されよう。 北と南のわが同胞は必ずや同じ屋根の下に団欒できるだろう。 
 
 
 
ベトナム関係の本を読み、
ベトナム関係のネットを見て、いろいろ考えていくと、
とどのつまりは、この“ホーおじさん”こと
ホー・チ・ミン(胡志明)に行き着くんですよね!

“ホーおじさん”なんてみんな呼んでますけど、
革命家で、初代ベトナム民主共和国主席、
植民地時代からベトナム戦争まで
ベトナム革命を指導した現代の巨人ですよ、巨人。
すごい人なわけです。
大巨人です!← アンドレじゃないですよ(笑)
 
1969年(昭和44年)に亡くなっていますので、
その思想や人生に触れるには、書物に頼るしか方法はありません。

さっそく、僕はこの亡くなった翌年に出版された
「正伝 ホーチミン」という
ベトナム共産党がまとめた本をネットの古本屋で買って読んでみました。

ちなみにこの本の印刷は昭和45年(1970年)9月1日、
発行は1970年9月10日です。
今からちょうど、40年前の9月に、毎日新聞社から
発行された本ということになるんです。
 
 
・マルクス・レーニン主義
・「万国の労働者と被抑圧諸民族は団結せよ!(レーニンの神聖な呼びかけ)」
・労働者階級
・コミンテルン
・プロレタリア革命
・白色テロ
・革命戦士
・トロツキスト
・国際共産主義運動
・教条主義
・セクト主義
・ブルジョア
・プチブル思想
・思想教育
・革命政権
・全同胞

この本の中には、
共産主義や社会主義にまつわる
こんな “死語”のオンパレードですが、
冷静に内容を読んで、考えると
ホーチミンの偉大さが浮き彫りになってきます。

追悼の意味があったり、
この当時の政権運営を安定させるための
プロパガンダっぽい感じもありますが、
参考になることがホントにたくさん詰まってました!

ホーおじさん(ホー主席)は、こういったそうです。
数十年の間、私の心は同胞のそばにあり、 そして同胞の心は私のそばにあると私はいつも確信する。

あー。これだな。
まさに、こういうことだな。と僕は思いました。
革命は大衆の事業である。(ファン・バン・ドン首相)」
 
 
 

★序文より

ホー・チ・ミン主席の生涯と事業はベトナム革命の輝かしい歴史的な
時期と密接に結びついている。また、世界革命のもっとも激しく
盛上がった闘争の時期とも密接に結びついている。

ホー主席は真の愛国主義者から、偉大な共産主義の戦士となり、
マルクス・レーニン主義の光でベトナム革命の道を照らし、
党〔ベトナム労働党〕とわれわれ全人民を一つに団結させ、
勇敢に闘わせた。さらにわが民族の歴史にもっとも輝かしいページを
書き加え、わが祖国を独立、自由、社会主義へと導いた。

ホー主席は独立、自由の理想と共産主義の理想をもっとも
よく結合した象徴で、強烈な愛国主義と国際的プロレタリア精神を
結合した象徴でもある。かれはベトナム民族のもっともすばらしい
伝統をうけつぎ発揮し、その伝統と現代の徹底した革命思想、
すなわちマルクス・レーニン主義の思想を結合したものである。
かれは、わが党を創立し、そして指導し、わが党を労働者階級の
真の政党として鍛え、民族統一戦線を組織し、人民武装勢力を創立、
さらにベトナム民主共和国を樹立し、疲れもみせずに国際的な
団結強化のため闘ってきた。そしてつねに幹部、党員の訓練に
心をくだき、たえず「将来のための革命世代を育てるため」努めてきた。

ホー主席はベトナム労働党中央委員会とともに、
わが国で二つの革命を指導した。それは民族民主主義人民革命と
社会主義革命である。

また侵略者に対する二つの長期の抵抗戦争も指導した。
それは、以前のフランス植民地主義者と今日のアメリカ帝国主義者との
抵抗戦争である。北部で社会主義を建設するため、人民を指導し、
積極的に平和、民族独立と民主主義と社会主義のため、
世界人民の闘いに寄与した。

かれは、徹底的な革命精神、不屈な戦いの士気をもち、誠心誠意、
党と人民革命のため、奉仕した最大の鑑(かがみ)である。
献身的で忍耐強く全生涯にわたり、階級解放と民族の解放のため、
また人類解放のため、独立、自由、社会主義、共産主義のため闘った。

かれの気高いモラルは、党への忠誠、人民への奉仕の精神、
勤倹廉正、公平無私、誠実、謙虚、質素である。
勤労人民を心から愛し、大衆のなかに入り、
絶対に人民大衆の能力と力量を信じていた。

かれの功績と革命事業をよく理解し、思想、道徳、作風を学習するため、
われわれはその伝記と、その事業をもう一度学ぶことにしよう。
 
 

★目次より

第一章 厳しい環境のもとで
ホー主席は早くからフランス植民地主義者を追出し、
同胞を解放する志をもっていた。
(1890年-1911年)

第二章 西欧の国々に学ぶ
ホー主席はベトナム人民の正しい革命路線をみいだした。
(1911年-1924年)

第三章 マルクス・レーニン主義
ホー主席はベトナム労働者階級の党を創立するため、闘った。
(1924年-1930年)

第四章 盛上がった革命運動
ホー主席は国外から国内の革命を指導した。
(1930年-1939年)

第五章 独立宣言
ホー主席は帰国し、党中央とともに政権を奪取する
総蜂起の準備をした。
(1939年-1945年)

第六章 植民地主義の侵略者
ホー主席は革命政権をまもるための全人民闘争と、
フランス植民地主義者の侵略に反対する長期抵抗戦争を指導した。
(1945年-1954年)

第七章 南北は一家である
ホー主席は祖国の平和統一を実現するため、
社会主義革命と全人民の闘争を指導した。
(1954年-1965年)

第八章 反米救国戦争
「独立と自由ほど尊いものはない」。
(1965年-1969年)

第九章 偉大な生涯
ホー主席は永遠にベトナム人民と全世界人民の
心の中に生きている。

忘れられない日々 ボー・グエン・ザップ

ホー・チ・ミン主席、民族の成果と気迫、時代の良心 ファン・バン・ドン

“ホーおじさん”の生家を訪ねて 毎日新聞・宇佐美 滋 
 
 

★裏表紙より

胡志明

全国抗戦のよびかけ(1946年12月20日) われわれは平和を望んでいる、われわれは譲歩した。 だがわれわれが譲歩すればするほど、フランス植民地主義者は ますます侵略してくる。祖国を失い、奴隷になるくらいなら、 われわれはすべてを捧げようではないか。 同胞のみなさんみんなたちあがろう。

完全な勝利に至るまで戦う(1966年7月17日) ベトナムは勝つ! アメリカ侵略者は必ず負ける! 平和で、再統一され、独立で、民主的で、 繁栄するベトナム万歳! 全国の同胞と戦士よ、勇敢に前進せよ!



(僕が読んだベトナムの本)
INSIGHT GUIDES 「VIETNAM(ベトナム)」

ベトナム産業分析 この一冊でベトナムの今が分かる!

まっぷる(マップルマガジン)2011 ベトナム

ホー・チ・ミン わが祖国の自由と独立 / 日本ベトナム友好協会

正伝 ホーチミン / ベトナム労働党中央党史研究委員会

現代ベトナムを知るための60章 / 明石書店

物語 ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム / 小倉 貞男

人間の集団について ●ベトナムから考える / 司馬遼太郎

泥まみれの死 沢田教一ベトナム写真集

 
(参考)
ベトナムフェスティバル2010 Vietnam Festival 2010 - 2010年9/18日(土),9/19(日)

ベトナムスケッチ

ベトナムフォトジャーナル

ベトナム政府観光局

ベトナム社会主義共和国 - 外務省

ベトナム - Wikipedia

 

村内伸弘@ムラウチ ドットコム

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