八王子市民の皆様(特にご年配の方)、必見ですよー!
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「八王子大和田橋 /1943 夏」
aki's STOCKTAKINGさんという方のブログでたまたま見つけちゃいました。
「あーっ、いい写真です。実にいい写真です。」
僕のぶひろはお母さんが子供の目線までしゃがんで
両手を握ってあげている写真に涙しました。。。
大和田橋は僕自身が生まれてから何百回と渡っている橋ですが、
この橋が写っている写真としてはピカイチの素晴らしさだと思います。
このブログを書かれている建築家・秋山東一さんの
お父様が撮られた写真のようですが、
実にすばらしい一枚だと感じ入りました!!
秋山さんご自身も書かれていますが、
60年も経った今と比べても、橋も遠くの山並みも
なにも変わることはありません。
大和田橋は60年以上も変わることなく、やさしい眼差しで
ぼくら八王子市民を見つめてくれているんですね。
(おまけ)
「大和田橋」 焼夷弾・弾痕の保存について
八王子市は太平洋戦争終結の13日前、昭和20年8月2日未明に、
米空軍のB29爆撃機180機の空襲を受け、約450名が死没、
2,000余名が負傷し、旧市街地の約80%の家屋が焼失する被害を受けました。
そのとき多くの市民が大和田橋の下に避難し、尊い命が助かりました。
大和田橋の歩道上には、この空襲のとき投下された焼夷弾の跡が17箇所残っています。
車道の部分は過去の補修により、弾痕は残っていませんが、現在歩道上に
残っている弾痕の数から推測すると橋全体では約50個以上の焼夷弾が
投下されたと思われます。建設省相武国道工事事務所では、この大和田橋の
補修工事にあたり焼夷弾の弾痕を保存し太平洋戦争の痕跡を永く後世に伝えるものです。
弾痕の保存については、上下歩道上各1箇所は透明板で覆い、
他15箇所は色タイルで、その位置を示してあります。
平成9年10月
建設省関東地方建設局
相武国道工事事務所
↓世の中いろんな人がいる \(^O^)/